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広告素材で気になった事柄から自身の思いや疑問点・希望などを勝手な解釈で綴るページです。意見交換の切っ掛けになれば幸いです。
2015.7.17 気まぐれコラム vol.009『過去と未来を結ぶもの_エピソード3』

いよいよ第3弾に突入です。

過去2回に渡って私の足跡と言いますか、いわゆる今に至る半生の前半部分をさらけ出してきた訳ですが、改めて自ら振り返ってみるもさほどドラマチックな波瀾万丈というまでは言えず、誰でも一度や二度は経験するだろうと思われる極当たり前な生い立ちであろうと思う訳ですが、ただこの事がそれではその後の自身の道のりにどのような影響をもたらすものなのか、それではここ直近までの人生の流れをかい摘んでご紹介していきたいと思います。

成人編

ほどなく両親は茨城県(今の笠間市)に一戸建て住宅を手に入れました。高卒の私はとにかくミュージシャンを目指していた関係で、当時バンドを組んでいた同級生と各種ライブ企画を展開する傍ら片やメンバーの友人は大学生に、私などは幼少から勤しんでいた写真との絡みから地元の某出版社に就職、そこで稼いだ資金を捻出しながら演奏活動をかれこれ2年ほど続けていました。

ところが突然仲間の一人がピンでデビューするチャンスを掴み東京で活動したいと言い出し上京、リーダー格を失ったバンドはその後あえなく解散の羽目に。残された他のメンバーは自然と音楽を離れていきました。突然の喪失感に苛まれた私はそれでも音楽を諦めきれず、この寂しさを紛らすためお恥ずかしながら茨城の親のところに一旦戻る事にしました。

とにかく仕事を見つけなければ次がないという訳で(何故かハローワークに行かず)駅前にある幾つかの就職先(商店)を場当たり的に探す事にしたのですが、ある場所でふと足を止めると歩道沿いには靴店、道路を挟んだ向かいにはレコード店、10m先には写真店が見えました。取りあえず仕事をするのであれば何処でも良かったのですが、何故か音楽に関係のない写真店にまず声を掛けてみました。

今思えばやっぱり写真好きだったのでしょう。

当時の私の風貌はまさにヒッピーそのもので、髪は肩まで伸ばしボロボロに破けた薄汚れたジーパン姿だったのですが、簡易面接でとにかくこれまでの写真経験を話した結果後日すんなりOKの連絡が来ました。1年半ほど働いていた埼玉の某出版社での撮影アシスタント経験やデザイン関連での編集助手、印刷機の操作並びに4トントラックの長距離運転、写真撮影のノウハウ、十数年にも及ぶ白黒現像技術等々が評価された格好となったかと思われます。

風貌はにわかに変貌し何時しかスラックスとネクタイに洒落たブレザーを着込んでの写真屋稼業に様変わりしていました。当時23歳だったと思いますが、1年もすると仕事が板に付いてきたのか、音楽への憧れはすっかり無くなって一端の写真屋さんになった自分がそこには居ました。就職時に居た諸先輩方が個々の事情で次々と辞める中、その分大きな仕事を任されるようになり徐々に頭角を現し始めます。

5年後、店内ではカメラや関連商品の販売員、故障のチェックと簡易修理、葬式肖像写真の製作、七五三や成人式、お宮参り、選挙ポスター、各種ブツ撮りなどもこなすスタジオカメラマン、更に学校や会社等の出張(集合・証明写真・卒業アルバム制作・建物や作業工程のパンフレット・商品撮影)を中心に回す中、当時お店が契約していた地元の結婚式場では写真室メインカメラマンにまで上り詰めました。

そして16年がアッと言う間に過ぎていったのです。 →エピソード4へ

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